東京学芸大学アメリカンフットボール部SNAILSの公式BLOGです。
ニーチェ曰く神は死んだらしい。
LB9 佐藤 悠(2年)。
かの偉人がキリスト教の虚構性を洞察しても、今なお日頃の私達は何かにつけて願うのだ。
勝ち負けが決まる時など特に。
ここぞという時にだけ神を信じるのである。神なんてどこにいるのか。
神がいるならば、このスロットの羽振りが芳しく無く、ましてや昼の惰眠の最中に宗教の勧誘など来るものか。
神はやはり死んだのか。
神を信じぬ人は何に縋れば良いのか。
古代には信じられた神がいたわけだが。
その実像を暴けばもう虚像は信じていられない。
最早、超自然的なことは起きず事象の真の姿を見るよりほか無い。
ならば合理化の道を辿るのみ。
そういうように現代は科学を発展させて進歩してきた。
しかし、これにも不都合が生じてきた。
トロッコ問題なんて典型的ではないだろうか。
合理的には問いに対する答えが出せないのだ。
答えは神のみぞ知ると言ったところか。
皮肉である。
合理的に考えれば考えるほど、理性が排除したはずの神はより存在が増していく。
一人を殺す決断をするよりも、神に願っていた自分の方がよっぽど救われる。
と、私は思う。
そんなわけで神を信じる信じないなんて真昼に訪ねてくる胡散臭い人達の如く語ったわけだが、私はそんなもの信じない俗人なので、確実に勧誘を断る方法に趣向を凝らすわけである。
「神を信じますか?」
に対し
「神はどこに居るのですか?」
と問い
→「あなたのこころの中にいます。」
「それで満足です。」
or
→「〇〇にいます」
「普遍的に存在しない神に私を救えますか?」
そうしてゆくっり、中継でリスグラシューが差し切るように競馬の神に祈るのだ。
滅茶苦茶だろうか?
いや、それで良いと私は思う。
追伸:
最近野良猫と闘いました。
完封でした。
負けました。
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