東京学芸大学アメリカンフットボール部SNAILSの公式BLOGです。
先日最近流行りのタピオカを飲みに行った。
学科の友達と私とで並んだは良いが、場違い甚だしく、「男であること以外は女である。」というように思い込み、なんとか行列を並びきった。
しかし、メニューに表記されていたのはタピオカでは無い、「パール」。
パール?
2年LB 佐藤 悠だ。
タピオカは美味くない。
誤解を生むやもしれぬがそれは紛れも無い。
それが美味いか否かは、それを判断する主体に委ねられているが故である。
これは私が美味しく無いと思ったのでは断じてない。
断じて。
では、それを判断する主体つまり、私達は何を基準に決定しているのか。
それは文化であると考える。
その文化に帰属する人同士の認識のすり合わせに美味さが存在しているのだ。
ビールは苦い。
ビールは子供からすれば大人の象徴みたいなものであった。
しかし、飲んでみるとどうだ。
かなり苦い。
それでも大人は美味いと言う。
そうなると美味いと思えるようになりたいと願ってしまうのは私だけだろうか。
別にビールを美味しく飲みたいのでは無い。
そういった一面があるにしても、それ以上にビールが美味いと思える「大人」という文化に帰属したいという憧憬があるのだ。
おそらく。
タピオカブームにもそういった側面があろう。
あの飲み物を可愛いと感じ、美味しいと思うその1つの文化への自己同一化をはかる。
そうすると、晴れて「良さが分かる人」になれるのだ。
ビールの美味しさが分かる人の如く。
猿とは違い人は文化を持つが故に人だと小林秀雄の言を借りるとそうらしいが、文化に帰属し生きることが、人を人たらしめるならタピオカを飲むことも吝かではあるまい。
とおもったが、僕は美味しいとは思わなかった。
高いし。
おとなしく水溜りの水を飲んでおきます。
追記:ぼくも、もうりっぱな20さいじ!
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